母に会いに仙台へ
戻ってきたのが17日の夜中でした。
クレレ達もいるので、私達はお留守番でした。
帰宅後、旦那はコタツの中で寝てしまってました。
クレレとカイナはパパにべったりでした。
クレレはコタツに入り、旦那の足に顎乗せしてた。
適当に撮って取り込んだラピンボケだったけど。


今回は旦那に書いてもらいました。
以下、旦那の書いたものです。
母が見つかり兄が仙台まで連れて帰ってきたので、
救援物資と、母の様子を見にガソリンは往復ギリギリでしたが
仙台へ向かいました。
国道4号線は道が非常に悪くなっており、一部土砂崩れで迂回が必要な
状態でした。
コンビニでは断水等でトイレは使えず、ガソリンスタンドは全て在庫切れ、
郡山市、福島市あたりは車屋さんの窓ガラスが割れてブルーシートで覆って
あったりと被害が大きかったようです。
宮城県には朝4時ぐらいに入ったのですが、開店前というか開店するかも
わからない全てのガソリンスタンドに1kmぐらい
車が止まっているような状態でした。
5時ぐらいに兄の家につき母の様子を見たのですが思いのほか元気そうで、
色々と状況を話してくれました。
母は介護関係の仕事をしており、地震の際は仕事中だったそうです。
地震直後もそのまま仕事を続け、とあるお婆さんの世話をして15時半から
世話をする老人の家に向かう途中、山の上にある公民館に避難するであろう
車の渋滞に巻き込まれ、停車中に津波に襲われたそうです。
海水を大量に飲みダメかなぁと思っていたところで後部座席の窓ガラスが割れ
水が引き、そして運転席のパワーウィンドウも開き自動車も損壊した建物に
引っかかり流されずに大槌郵便局の屋上にいた背広を着た人と若いカップルに
助けられたそうです。
まだ真冬並の寒さであったので服も濡れた状態だったので近くの家の濡れて
ない服を持ってきてくれたりと色々と世話になったそうです。
周りでは色々叫び声も聞こえてきましたが、それも日が暮れるころには聞こえ
なくなり、背広を着た人は「自分たちはまだこうして寒いけど助かっていて、
もっとつらい状態の人もいるんだよな」って言ったのがとても印象的だった
ようです。
そしてその後崖の上より消防隊の人が崖の上よりロープで引っ張りあげて
くれて避難所に行く事ができたそうです。
その後は避難所を転々としていたそうです。
情報もなく何がどうなっているかもわからず、誰々が無事だった、ダメだった
という話を避難所でしていて過ごしていたそうです。
陸路も絶たれていると思っていたところに兄がきて「どうしているの?」
という状態だったそうです。
兄の友人が、母が避難していた所のさらに奥に住んでいたのですが、普通に
朝ご飯を食べていたところで、一家で水は井戸水、ガスはプロパン、電気と
電話がないけど自給自足してるから自分の家は大丈夫と言われたそうです。
私が行った時、母が「パスポート用の戸籍謄本を地震のある午前中に
送ったけど届いた?」と聞かれましたが届いてない旨を伝えると、
とても残念がっていました。他にも友人、親戚関係の無事かどうかとか
安否を心配していました。同じ町内にも関わらず全くわからない状況でした。
私も夜通し運転したのでその後寝ましたが、起きてから母は胸の痛みで
まともに歩けない状態であることをしり、病院に連れて行こうと思いました
が、仙台も被災地であるため病院に問い合わせても、たらい回しにされる
状況だったので119に電話をし、岩手県大槌町で被災した人を連れてきた
んだけどと伝えたら、即来てくれました。
診断結果は肋骨骨折と全身打撲でした。あと汚い水を大量に飲んでいるので
肺炎に注意するよう言われたそうです。
今後倒壊したであろう実家に使えるものがあるかどうか探しに行こうかと
思っていたのですが、現在大槌町は避難生活も1週間を過ぎ、治安が大変悪化
しており、盗難事件、暴力事件が多発しており、車を止めただけで襲われたり
ガソリンを抜かれる状況になっているそうです。
近くの小学校では毛布がまだ10人に1人だったりするそうなので少しでも多くの
人に物資が届きますように。
以上。
話しはかわりますが、先日地震雲について記事にしましたが、
あれから、ネット上では地震予言者や感じ取れる方達などでも
この数日間で関東や西日本でで大きめな地震が、
あるんじゃないかと騒がれているようですね。
無いと良いんですが・・・
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